3月28日、救援物資を届けます
NPO法人 シビルまちづくりステーション
会員のみなさん
地震、津波、原子力発電所、この未曾有の災害は想像を絶する傷跡を残しながら、それでもまだまだ留まるとこを知らない状態です。
みなさんの所は如何でしょうか、大変苦しんでいる方はいませんか。
自分には、自分達には何が出来るんのだろうと思っていましたが、この度仲間の森川さんが被災地にボランティアとして救援物資を届けに行くことになりました。
今月28日に大阪を出発して車で現地に乗り込みますが、当人の希望では特に行政のルートでは対応できない、避難所に行けないような方や子ども達に届けたいと言っています。
気持ちのある方は、当NPO西日本支部に救援物資を郵送なり持ち込みで届けて下さい。但し、消費期限の短い食料品や古着、修理の必要な電化製品、家具、その他特に大きな物資は持っていけません。
宛先は次の通りです。
宛先 : 大阪市北区浮田1-2-3 サヌカイトビル
特定非営利活動法人 シビルまちづくりステーション 西日本支部
TEL 06-6359-7190
理事長 花村義久
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徳川家康が江戸幕府を開くにあたり、海岸の州を埋め立てた新市街地と結ぶため、慶長八年(1603)この橋を架けた。東京の町づくりはこの日本橋から始まったといえる。翌年には、ここを起点に東海道など南北五つの街道の里程が定められた。現在の日本橋は明治四十四年(1911)建造の石造りのアーチ橋で、道路元標、擬宝珠(ぎぼし)が設置され、わが国初の重要文化財に指定された。デザインは、和漢洋折衷の代表作といえる。橋名は日本橋川から人々が自然に日本橋と呼ぶようになったもの。また、昭和39年に、真上に高速道路が架かったため、橋の景観が損なわれ、これを撤去、移設の議論が喧しい。ソウルの清渓川(チョンゲチョン)では、2005年、時の市長李明博(イミョンパク)氏の英断で、橋を覆う高速道路を撤去し、汚染により蓋覆されていた河川と景観を復活させた例に倣うべしとの論もあり、近年、この改築案を模索中である。
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